糸魚川翡翠帯留 C00289真隆 作 54.8mm*32mm*8mm
産 地 : 糸魚川産(新潟県) サイズ : 54.8mm*32mm*8mm 穴幅 15mm 制 作 : 真隆(しんりゅう) 作 富山県の翡翠工芸師 この翡翠は地元糸魚川の 天津神社(安産、合格、家内・交通安全)・ 奴奈川神社(縁結び)にてお清め(翡翠お清め神事)致しました。
お守り・パワーストーンとしてお持ちいただければ幸いです。
翡翠について 翡翠は「空飛ぶ宝石」と言われるカワセミ鳥の別名で『翡』は雄、『翠』は雌を意味します。
硬度は6〜7、比重は3.3で硬く重々しい宝玉です。
縄文時代中期(約5千年前)から奴奈川郷(糸魚川)で5世紀頃まで連綿と作り続けられてきました。
その玉の霊力は全国に知られ、求められ配られていきました。
皇室の三種の神器の1つの八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)はヒスイ製の大珠とされています。
神々が愛した宝玉 糸魚川翡翠 神代の時代、糸魚川周辺と特産品である祭祀具「翡翠」を支配していた巫女王がいました。
巫女王の名は奴奈川姫(当店翡翠お清め神事を行っている奴奈川神社の祭神)。
奴奈川姫はこの地で磨かれた翡翠に世の平安の願いを込め、日本全国に翡翠を伝播させたと伝えられています。
姫は賢く美しく、その噂を聞いて、出雲の国 大国主命(出雲大社の祭神)がはるばる当地方に訪れ、求婚を申し込んだと言います。
姫は大国主命に歌を贈答し一日後に求婚を受け入れ、結婚したと伝えられています。
二人の間には諏訪大社の神「建御名方命」が生まれました。
神話が物語るように大国主命を奉る出雲大社本殿の裏の真名井遺跡からは、日本でも最高の品質と思われる翡翠の勾玉が出土し、大社に保管されています。
何故、現代の翡翠はその霊力を失ったのでしょうか? かつて、糸魚川の翡翠は、日本全国に遠くは朝鮮半島や中国にまで、求められ伝播していきました。
その霊力の強さは、クニ同士の戦の勝敗をも決したと言われています。
しかしながら、現代の翡翠にはそれ程の力を感じません。
何故、現代の翡翠はその力を失ったのでしょうか? 特殊な製法、造られた場所あるいは奴奈川姫の存在? やはり、奴奈川姫の存在が大きく関係しているのではないでしょうか。
かつて、糸魚川で制作された翡翠製の珠は、歴代の奴奈川姫の御前に集められ、その霊力を引き出され全国に送られたのではないでしょうか? それを示すかのように、天津神社・奴奈川神社の遺跡発掘の際、40点余りの勾玉等の完成品が出土したと言います(同神社神主談)。
糸魚川では翡翠製の玉類の未成品は多く出土していますが、実は完成品はほとんど出土していません。
それは、完成品は全て奴奈川姫(現在の天津神社・奴奈川神社付近)の御前に集められ、そこから全国に送られたと考えられます。
当店は、この慣習を引き継ぎ、天津神社・奴奈川神社にてお清めをしていただき、全国に送り出したい、そう思い、翡翠お清め神事を執り行っております。
当店の翡翠をお持ちになられた方々が少しでも幸せになっていただければ、幸いに存じます。
糸魚川翡翠がまぼろしの翡翠と呼ばれる所以 糸魚川翡翠は、縄文時代前期のころに出現し、その後、弥生・古墳時代を通じ、装身具・玉類の主流を占めていました。
ところが、奈良時代のころになると翡翠は忽然として姿を消してしまいました。
今なお、糸魚川の翡翠は、その出現から終末に至るまでの多くは謎につつまれています。
糸魚川翡翠の希少さもさることながら、まぼろしの翡翠、謎の翡翠と呼ばれる所以がここにあります。
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